あれは天明のころと申しますから今からざっと二百二十年ほども前のことになりますな。田沼の時代も終りに近づき浅間山の噴火、東北地方に続いた冷害や多雨、そんなことが原因となったのでございましょう天明の大飢饉というのはみなさんもご存知のこと。当時三千万人ほどいた人口のうち1百四十万人ほどが東北地方を中心になくなったと聞いております。
生きるか死ぬかとなると人間どんなことでもするようになるんですな、普段では想像もつかないような恐ろしいこともままあったことでしょう。語るのも気味が悪うございますが人食い、などということも行われていたようで。
ひどい例になると一家が人肉工場のようになり、うわさを聞きつけた役人が踏み込んでみると大量の人肉を塩漬けにして壷に詰め、壁には三十八もの首がかかっていたとか。
このへんになると多少眉に唾せにゃならんかもしれませんがな、とにもかくにも道端に普通に仏がころがっている、そんな風景だったのかもしれませんな。そんな世相とお心置き下され。
さてお前さんも「入り鉄砲に出女」というのを聞いたことがござろうの。「入鉄砲」というのは江戸に鉄砲が持ち込まれるのを防ぐことで、「出女」というのは参勤交代で人質となっておられる大名の奥方が江戸から出ていくのを監視すること、だそうですな。そんなことで江戸時代は関所が厳重じゃったよと、いうことを表す言葉でもありますの。
しかしみなさんはこんなことを考えたことはありますまいか。いくら関所が厳重でも国境をみ〜んな監視することは出来んじゃろうと。
まあそれは一理ありますな。いつの世にも裏というのはございます、正式な手形を持たぬもので道なき道を通って国ざかいを越えたものも少なからずあったと考えるのが道理でしょうな。
さあではどんなものたちがお上に叛いて国境を越えたとお考えになりますかな?まずだれでも思いつくのが罪人、ですかな。まあ国境を越える自体が犯罪ですからな、確かに罪を逃れようとするあまりさらに罪を重ねる、今も昔も変わらぬ構図、といえましょうな。罪人の心理は古今東西そんなに変わるものではありますまい。
さて意外に思われるかもしれぬがそのように抜け道を通ってゆくものに修験者たちがおりました。ご承知のとおり修験者は山を歩くものでございます。21世紀の現代でも「サンカ」と呼ばれる山の民の存在を信じるもかたがたもおられるとか。山に慣れたそれらのものたちが幕府の目をかいくぐって(まあそいう意識があったか否かは拙僧には量りかねますがな)国境を越えることなど容易かったことでしょう。
そんなものたちが東北の辺鄙な村をたずねたとき、どんなことが起こりうると思われましょうや。信心深いものたちに手厚くもてなされることもなかったとは申しません。じゃがここで思い出してほしいのが先に話した世相よ。いやいや取って食ったとまでは申しませぬ。
それはほれ、最後の最後じゃ。だれも好き好んで人食いなどせぬわ。のう?じゃがの、貧しい農村、みな食っていくだけで精一杯じゃ。そんなものたちがひとを殺めて宝を奪おうと邪心を起こしたとしても拙僧は非難する気持ちにはなれませぬのじゃ。
いやいや仏に仕える身がこのようなことを申してはなりませぬな。お聞き流しくだされ。
そんな修験者たちが宝を持っておるのかと?ご疑念はもっともですな。愚僧の話がまずうございました。確かにそんなものたちが金品を持っておるというのはなんといいますかわれわれ現代人の感覚からはおやっ、と。そんな風に思われますな。しかも殺してまで奪おうとはかなりの大金。修験者といえば俗世を離れこの世の欲からは隔絶したものであろうと。そのものたちがそんな大金をもっているとはどういうことかと。みなさんは思われるじゃろうの。
じゃがの、実際にはなかなか欲からは離れられませんのじゃ。逆にそんな欲が強いからこそわが身につらい修行を課してその欲から離れようとするのかもわかりませぬな。拙僧も仏に仕えてどれだけの春秋を重ねたことか。そのわしが言うんじゃから間違いないわ。こんな枯れたじじいとお思いでしょうがなかなか・・。その昔、久米の仙人が物を洗う女の脛をみて神通力を失って空から落ちたという話もほんに身につまされますな。これも失言かもしれませぬの。なんまいだぶなんまいだぶ。
すこし話が逸れてしまいまいしたな。年を取ると人恋しゅうてつい無駄話が多くなります。
まあ現実的な話をすればいかに修験者とて旅をするには金がかる。
しかも修行の旅じゃからまあ数ヶ月あるいは数年に渡ることもありましょう。地獄の沙汰も金次第。相応の金は持って出た。今の金にして数百万ぐらいの金を杖などに仕込んでおったそうな。特に山あいの他から隔絶した村では修験者など殺したとてばれる気遣いも少ない。
そうそう、言い忘れておりましたがその点でも修験者を狙うというのは賢いことでしてな、一般の手形などを持っている旅人などは身元もはっきりしておる。何かあれば調べもつきやすいということでしてな。修験者やわれわれ雲水などはまあ人であって人でない、そういう意味では殺されても文句の言える立場ではないかもしれませんの。
そんなある修験者がある村である家を訪ねたとお思い下さい。
しゃん、しゃん、しゃん、と手錫杖の音。
『すみませんが一晩、どこか体を休める場所をお貸しいただけませんか。いや修行の身でこのようなことをお頼みするのは筋違い、そのような不心得者に貸す宿はないと追い払われて道理。それをわきまえぬものとは思ってくださいますな。しかし今日はまたことのほか怪しからぬ天気、南国土佐の生まれのこの身にはとても堪えられそうもございません。その上ご覧になりましたか、赤い不思議な月が出ております。風の様子などただならぬ気配、このように見えて恥ずかしながら生来の臆病者、来世への功徳と思ってここは一晩。』
その屋の夫婦も初めは功徳と思って泊めることにしたのかもしれぬ。じゃが狭い屋じゃ、あるじするうちにどこかで修験者の金を目にし、その時はじめて邪心がもたげたのかも知れぬわ。こればっかりはなんとも言えませぬがな、お前さんははどのように推し量られるかの。
果てさて夫婦はその金で商売を始め村の中でも裕福な家となり、待望の子供も生れまずまず幸せといえる暮らしぶりじゃったそうな。ただひとつ、その子供が口をきけなかったことを除いてはな。
村の医者にも見せたが原因はわからぬ、生まれつきじゃろうと、それのみなりけり。あきらめきれぬ夫婦は余裕のできた財産を使って山を下りた町の名医にもみせたがやはり。夫婦は殺した者の祟りかと恐れたが、考えてみれば生れてもちゃんと育たずに死ぬ子供も多い当時、口がきけぬだけで文句を言ってはそれこそばちがあたろう、そもそも口はきけぬがそれ以外は風邪もめったにひかぬ元気な子、気立ても優しく素直な良い子じゃないか。と思い直し、それからは次第に自分たちの犯した罪に苛まれることもなくなっていった。いやむしろ「あれは現実のことだったのだろうか、もしかしてあの修験者は神様で、貧しい私たちに恵みをたれにやってきたのではないか、殺しは課された試練だったのではないか、考えてみればあの修験者はどこか人間離れしたところがあったし、そうだ、その証拠にそれまで何年も子供が出来ずにあきらめかけていたのに、あの直後にかかあは孕んだのではなかったか、神様、神様ありがとうございますだ。」
背負いきれない罪を犯した者の心理とはこのようなものでございましょうか・・・。
ところでお前さんも子供の頃、田舎に行って便所が母屋とは離れたところに立っていて、夜中怖い思いをして用を足した経験はござらんかな。そうですか、ございませんか、私のころはそれが普通でしたがの。長く生きておりますと世の中も変わりますの。最近ではうちの寺の便所もなんというんですか、ウォシュレットというんでしたかな、どうもあれはくすぐったい気がしてなんとも。
いや失礼、ここからが本番なのですがな、拙僧もあまり重い気持ちで話したくはございませんでな、つい軽口をはさんでしまいましたわ。
まあその家もそんな風だったと。ある晩その頃はもう四、五歳ほどにもなっておりましたでしょう子供が便所に連れていってほしい様子じゃ。近頃になくその日は寒く、風の戸をたたく音もかまびすしい。嫌な天気よと昼間から思っていたが、夜になるとなんだか妖気まで漂ってくるようじゃ。かといって幼い子供に我慢を強いるわけにもいくまい、どれ坊や行こうか。と子供を背負って外に出た。
いや寒い、しかもなんて風だ。それよりなによりこの妖気はどこから来るんだろう。さっさと用をたすべい。と、ふと空を見上げると今にも一雨来そうな様子の雲の切れ間からぼうっと覗いた赤い月。はてな、どこかで見たような、さては先ほど来の妖気はこいつのせいか。くわばらくわばら。
その時背中からうめき声のような男の声。こんな晩に誰がいるとも思われぬ。そもそも声がしたのはもうすぐ背中、背負ったおしの我が子としか思われぬ。しかし子供は今までうんともすんとも言ったことはないし、なにより聞こえたのは明らかに大人と思われる地の底から響くような低い声。思わず背中の子供の顔を見た。いつもは愛らしい我が子の顔から表情というものが消えている。能面のような顔をした子供の口が動き声を発した。
『こんな赤い月が出ておったわ。おまえがわしを殺したあの夜も。』
便所にしては長すぎる。どうも様子がおかしいと感じた妻は外に出、便所の中を覗いたが誰もおらぬ。あたりには人っ子一人いないわ。近所のものを起こして探してもらったがついに二人は見つからなかったそうな。
翌日、明るくなってから見ると、便所の傍らに手錫杖からはずれたと思しき輪が一つ、落ちていたと、聞き伝えております。